クレープAnn お待たせしました

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ハナコ3月号(スイーツ特集)に掲載されました

クレープが俳優への入口に

詳しく載っています

隠すことなく実直に

「実家がクレープ屋」発言がマスコミに流されるたびに

「実家は星ヶ丘店でしょう」

私は一度もここが実家なんて言ったことはありません

どちらでも構わないのです

ただ37年の歴史はここで作られ

2度の地上げ屋の立ち退きに戦って来た暖簾を

繋いでくれればそれでいいのです

小学校は八王子第2小学校、片倉台小

相模原の星ヶ丘小と点々としました

私の両親は他界し

祭祀継承は弟にしてあります

実家の概念は曖昧になりつつあります

中学卒業してブラブラしてるなら

ファッションやヘアーに熱くなっているのを見て

ヘアーデザイナーやモデルに興味があるなら

ここで働いて自分のやりたいことを勧めました

私は大学出て父の弁護士の後を継ぐ気持ちが

パリに行ったことがきっかけで

1983年2月にクレープAnn開店

2007年9月に倒れ障害者に

そこが大きなターニングポイントかもしれません

突然の脳出血であの世へ行ってたかもしれません

だから息子には学歴にこだわらず

好きなことをやって欲しいという思いに

突き動かされていました

働いているうちに

ある雑誌の読者モデルに

自分から編集長に売り込みに行ってました

ヘアーモデルにもなって

自分から動き回って生き生きしているのを見て

これだ!好きな世界こそ

自分の生きる道では

ジュノンボーイにも応募して

お店での売り込みなど

高校に行ってれば友達の応援も多いだろうが

そのマイナスを

家族みんなでバックアップしたり

私の友人にも頼んだり

お客さんにも頼んだり

ジュノンの雑誌も毎月数冊買って

お客様に渡したり

全精力を傾けバックアップをして来ました

自分の全てを賭けて

この世に送り出そう

そう誓って

ここまで来ました

俳優は個人プレイでしたから

野球部に入ることは反対しました

あそこは序列や伝統主義などに支配され

シゴキが当たり前だったからです

そこで小学校からテニスクラブに通わせたが

中学では硬式テニスがなかったのです

私は日本人の島国感覚が大嫌いでしたから

フランスの歴史から日本には個の確立が足りないと感じていました(バツイチ同士フランス婚を選んだのもそこにあります)

生涯弁護士を貫いた父ですら

日本民族主義や戦前の教育に影響されていることへの反発が

背景にあったと思います

できれば将来海外でも評価される俳優になってもらいたい

そんな夢を

一歩一実現させています

今日も明日も二公演づつ

明日は東京公演千秋楽

皆さんのスタンディングオベーションを

座長として受けてくれることが

私が夢に見て来たことなのです

役者

塩野瑛久

ここにあり

いつも応援本当にありがとうございます

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