
1958年の作品「サムシングエルス」より
ここでのマイルスの枯葉は
数多のジャズミュージシャンが演奏する中でも
ミュートを付けたマイルスのトランペットほど印象的な音色は
64年の歳月を経ても色褪せない
深ーく心に刻まれて、今でも私の人生を彩る
黒いジャケットに右の文字だけが刻まれたレコードだった
紅葉の写真は勝手にアレンジ!笑
手に入れたのは代々木にあるオリンピック屋内プールの監視員をやっている時に稼いだバイト代で輸入レコード屋さんで買ったもの
当時は大学在学中に日赤救助員の資格を取って配属された先が
代々木オリンピックプールだった
潜水50メートル、両手を上げての立ち泳ぎを30分
強力な巻き足をマスターしないと溺者を救助できない
前から飛びつかれた場合後ろから飛びつかれた場合の
水中での処理の仕方をマスターしなければならない
高校の臨海学校にも派遣される
大学は親父の事務所があるお茶の水
稼いだバイト代は輸入レコードの即売会に投資
その数は数百枚
その中の数枚はアナログレコードにはまる息子塩野瑛久に
渡してあるが、残りは離婚と共に何処かへ処分されたようだ
だからこその我が心のマイルス
私の人生模様に刻まれている
その頃安保闘争の真っ最中
ノンポリの私は水道橋の研究室で司法試験を目指す中大生
驚いたことに
鉄道員の直木賞作家浅田次郎さんが同じ時代を共有していたとは
三島由紀夫氏との出会いや当時のことをラジオの深夜放送で聞いて驚く
あの頃私も研究室のある水道橋の食堂の近くのジムに通う
三島由紀夫氏によく遭遇していた時代と重なった
彼は楯の会を結成して自衛隊宿舎で、あじ演説をした後切腹自害した
介錯までさせてその首が朝日グラフなどに載っていたあの時代を共有していた浅田次郎氏
もちろん映画化されたポッポ屋は、高倉健の代表作でもある
浅田次郎氏はその後何と!
自衛隊に入隊したそうだ(性に合っていたという)
そんな話を深夜放送で聞けるとは
俳優高倉健の生き様は
ヤクザ映画時代にはなんの興味もなかったが
幸福の黄色いハンカチやポッポ屋などの作品から
俳優という世界に興味を持って行った延長線上に
俳優塩野瑛久の軌跡につながっているのだと思う
その浅田次郎氏は70歳に
やがて私はマイルスの枯葉と共に
散っていくのは本望なんだと思う
素敵な思い出をありがとうございます。
三島由紀夫氏との遭遇、素晴らしいですね!
彼は私の最も好きな作家です。ジャズやシャンソンにも造詣が深かったようです。
SOMETHIN’ELSEの中の「枯葉」は私のお気に入りでもあります。マイルスのトランペットの音色が何処となく秋のもの哀しさを秘めて心に迫ります。
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