第一関門をくぐり抜けたジュノンボーイ諸君へ!

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1万人を超える応募者の中から選ばれた100人

まずは書類選考2次審査で100人

面接カメラテストを通過

ここまで残れた諸君は幸運児だ!

何かを持っているはずただそれに気づいていない事

気づいていない世界を知らない事

たまたまジュノンボーイ8月号に戦国バサラの舞台に立つ

若手4人のクロストークが載っていて、その後に候補生100人が続く

  
舞台の主役に立つ人間でも

ジュノンに売り込み営業しているのである

とてつもないハードな稽古の後に

自分を売り込んでいかなければならない

事務所に所属していても自分で切り開かねばならない世界

  
8月号のほんの片隅に載るだけだけの世界

それでも

菅田将暉君のようにグラビア数ページに載るようになるのには

どれだけのエネルギーと汗と涙を流したか想像できるのだろうか?

学業と両立なんてできると考えるほど甘くはない!

この世界に残るために途中で学業を辞めたジュノンボーイがどんだけいるか考えた事あるだろうか?

ある有名な脚本家の方に言われたのは、

「俳優は感性を磨く事が仕事」

それを可能にする時期は大学出てからでは遅い

尾崎豊の15の夜にもあるように

感性が最も豊かになるその頃にこそ

これから出会うであろう数々の脚本のベースになる事が多いのだ!

その感性をリアルに表現できるには

受験勉強する頃の感性を生かして基盤にする事ができた人間が

こうやって残れるのだ

塩野も進学を泣きながら諦めた

自分で読者モデルになるために

某雑誌の編集長に会いに行く

私の店で働きながら、出入りの業者が

もと戦隊のブルーマスクをしていたことを突き止め

その方が東映のパーティーに行くという事でついて行き

そのパーティーで、東映関係者の方と知り合い

その中に坂本監督がいたという事で

オーディションで真っ先に目をつけてもらい

獣電戦隊キョウリュウジャーのグリーン役を勝ち取ったのだ!

(事務所では、その道を開いた事で4人の戦隊ヒーローと1人の仮面ライダーが後に続く事になる)

事務所の力でもなんでもない。

当時のマネージャーに呼び出され

「塩野はガチで戦隊の役を取ってきたのですよ」

ものすごい喜んでくれたのをついこの間のように思い出す

事務所始まって以来の快挙だと!

「ところでどのくらいの出演料が入るか分からないので

部屋を借りてそこから通うための最低限の生活費を試算して欲しい」

事務所に報告し、お金を借りる事になる

返す期限まで聞かれ私の積立を出そうとすると

「自分の事なんだから、事務所の社長にお願いする」

そして期限より半年早く返す

世のお母さん達は言う!「ここまでお金かかったでしょうね?」

「一銭も使っていません」もちろん普通に生活するための費用は当たり前だけれど

東映で朝早く出社すれば朝食が、昼は撮影で昼食が、夜はアフレコで夕食が

三食食費が浮いたこともあるだろう

今回50人に残った候補生たちに言いたい

覚悟を決め、自分の力で進もうとする人間は光るし、誰しも応援したくなる。

自立できない人間は俳優を諦めろ!

「才能は情熱を持続させる能力があるかどうか」だ!

ジュノン編集部の方は、そこをはっきり見極める事ができる方ばかりなのです

自分に正直に自分を飾る事なく、誰からも愛される(特に障害者などの社会的弱者)

人間を目指して欲しい!

目の前に老人が立っていれば、すっと立って席を譲れる人間であって欲しい

見せかけやカッコだけ追っかける人間はすぐにバレるし

舞台に立って、1つの作品を作り上げるために

みんなから信頼され、裏方さんにも愛される役者になるためには

裏方さんに感謝する気持ちと優しさを大切にすることだ!

二兎を追う者は一兎をも追えない

最終舞台に残れれば、必ずどこからかオファーがある

幾つかに絞って、自分一人で各事務所に出かけ

社長に自分の覚悟を示せるかどうか

その時ジュノンさんは一緒についてきてくれる

本当に私たちの迷いに答えてくれる素晴らしい方々の集まりである事を信じて

ついて行ってください。

当時副編集長の方に

目指す事務所に男優さんが育っていないので心配している事を相談すると

「塩野君が引っ張っていけばいいじゃない!」

あれから3年本当にそのようになっている事をご報告したい気持ちでいっぱいです。

こうやって戦国バサラのメンバー四人とともに

クロストークを載せてくれたことも

心から感謝しているのです

本当にお世話になりました。

家族のように最後までついて来てくれて

育ててくれたことを忘れません

最後のステージでも

パフォーマンスの用意ができていなくとも

舞台でクレープを焼きなさいと言ってくれた編集長

今でも忘れない「全て準備するので、是非」と

    
それが連続ドラマ「あすなろ三三七拍子」でも、単発のハイブリッツスイーツという番組でも
生かされたのです。

ジュノン編集部の方たちの確かな目を信頼してください

先ずはそこを経て、読者投票に臨む50人達

全ては覚悟、自分次第をお忘れなく

東映は朝早くから夜遅くまで(朝3時に起きて早朝からロケバスに乗って撮影、帰りは6時頃戻り

夕飯食べて、8時くらいからアフレコ自分の部屋に戻るのは10時くらい。自宅や学校から通うなんていう甘ちょろい考えは通用しない!)

テレビドラマ48作 映画4本全国ツアー含めた舞台192ステージ

その他各種取材DVD作品

この経験こそが塩野瑛久の血となり肉となって今を支えてくれているのです

本当にお世話になりました

ジュノン編集部の方たち

今でも忘れない幸運にも最終舞台に残れたジュノンボーイコンテスト

せめて最終ステージに残れて、何にか1つでも

今までの努力が報われれればいいねと言っていた家族

審査員特別賞にAOKI賞のダブル受賞

時間があれば自分で稼いだお金で美容室へ通い

そこでヘアーモデルとして売り込む

各種ヘアー雑誌に載る
今でもそのヘアーデザイナーさんは

俳優塩野瑛久を支えてくれている

良き相談相手でもある

お金がないときには、ホストでもなったらと言われた事もある

それを跳ね除けたのは自分自身であり、役者になる覚悟だった!

編集部の方には塩野君はもっと自分を出すようにと言われる

ジュノン編集部の応接室で20社のオファーを二日間でこなすために

泊りがけで将来の事務所の選択を夜遅くまで相談したのは

17歳の時だったと思う

モデルをやりながら役者の道を極めるにふさわしい事務所を探したあの夜

   
   
忘れません!

雪の日の朝ホテルから主婦と生活社(ジュノンの出版社)に向かったあの日のことを
覚悟は自分を変える

どうでしょうか?

21歳になった今

たくましく育った塩野を

感じてくれましたか?

座長としての自覚と責任を

イケメンなんてゴマンといるのだから

何が大切かわかってもらえただろうか?

あるエピソードを残しておきたい

ある舞台のオーディションで(森岡監督)

「ジュノンボーイという事で、床屋を途中で出てきたような髪型でくるだろうと思っていたが

全くそのイメージを覆して入ってきた塩野に惹かれた」と

「純平考え直せ」の主役を勝ち取った舞台

   
 監督はそんな塩野の魅力をNHKに伝えて

創作ドラマ大賞に輝いた「佐知とマユ」に抜擢される

同じ事していてはダメなのだ!

今の君の個性と付加価値を存分に生かしてこその世界に飛び込もうとしいる君に

幸あれ!

  

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