片麻痺になって17年 現状について

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2ヶ月に1回定期検診を受け、降圧剤などの薬をもらい、その薬のおかげでここまで生かされているのだと思います!医師から宣告を受けた2007年9月に右脳内出血高次運動機能障害を宣告されました!左手、左足ばかりでなく、顔面も左半分感じない身体になってしまいました!約5ヶ月間北原病院にてリハビリに励みました!

なんとかお店に復帰することを目標にする毎日でした!三人の理学療法士さんが付いてくれて、日常生活を1人で送れるように片手で調理する工夫と実際の料理までできるように指導されました!カレーの材料を片手で料理するために百均で木のまな板を買ってきてくれて、釘を打ち込んで頭をカットしてそれにジャガイモや玉ねぎを刺して片手で皮をむいたり、切ったりできるようにしてくれた理学療法士さんにはいくら感謝しても足りないくらいです!こうやってここまでお店に戻り営業を再開させたのです!その時私の左半身になって支えてくれたのが、明日徹子の部屋に出演する俳優 塩野瑛久なのです!当時お母さんは相模原のお店を経営していたので、私のフォローできたのは瑛久だったからです!反抗期に差しかかっていて、野球部の仲間と修学旅行を途中で帰ってきたり、1週間家出する事があつたり、片麻痺を引き摺りながら学校に謝りにいったこともありました!

ただ思い返すと私が障害者になったことにより、子育ての根本を見直すきっかけになったのです!それは不幸中の幸いだったのかもしれません!瑛久には好きなことをさせようと、やりたいことに全面的に応援しようと割り切れたからなのです!それまでの自分は教育パパだったと反省しました!ないものを嘆くよりあるものを活かそうと!それは私の自立であり、瑛久の自立にも役に立っていると思うのです。リハビリ中に私のリハビリを見に来てもらったことがあります!生きる喜びと工夫と努力によって幸せを掴む姿勢を身をもって示した17年でした

自立して生活することによって、左半身は三分の一位神経が戻りつつあり、寒い日は強烈な痛みが走ります!時には死にたいと思うこともしばしばの現状です!週に2回のヘルパーさんの力を借りて、一人暮らしを維持しています!介護士さんや八王子市には大いに助けられています!電動車椅子でアルプスに買い物行っています!そこでは昔のお客様が大河ドラマ見ていてくれて、励まされる毎日なのです!今こそドラマでは47作以上映画18本舞台も17ステージをこなしてきた瑛久の努力が花開く時になっているように感じています!何より彼の優しさがファンを支え、私の心を支えてくれています!

瑛久には、これからを逞しく生き抜いて欲しいと祈る毎日です

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