「求められる自分」になる

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ジャニーズ事務所問題が世の中を席巻する渦中にあって

ひたすら作品を選びながら、自分の道を開いてきた俳優塩野瑛久の道筋と選択をファンとしての目と親としての目線を同時に見据えてきたこの10年を振り返って、その違いを感じている

前者の目線はかっこよくファンに可愛がれる存在として

後者は楽しく穏やかに人生を過ごして欲しい俳優としての道

そのためには人に恨まれるような役所をして欲しくないとの目線があり

一方ではファンの方を元気にして仕事に愛情にあふれる生活をして欲しいとの願いが溢れる役どころであって欲しいとの気持ちの葛藤が

今日放送される2作品が対照的な役所になって放送される

ひとつは日本テレビの(「ブラックファミリア」における犯罪に絡む人生を歩む役所

もうひとつはスローライフを送りたいため

都会と田舎を渡り歩く青年の役

親としては田舎生活も送りながら都会で仕事をこなす役所を見たほうが

穏やかに過ごせそうだなと思ってしまう

しかし俳優としての道を選んだ以上

社会に潜む影の部分を掘り下げる役を通して社会の問題を掘り下げることも

俳優の使命ではないかとも思う

ジャニーズ問題など臭いものに蓋をしてきたマスコミや社会に対して

疑問を投げかけるのも俳優の使命と言えるのではないか

自分だけ幸せではいけないとの思いも込み上げてくる時代に

生きている気がしている

そういう時代だからこそ善とは何か?悪とは何か?

その本質を提起して視聴者に問いかけるのも役者の仕事なのだろうから

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