
仙台市内の楽天球場の近くにあるので
このロゴはマックのイラレを使って
私が考えデザインしたものなんです
赤毛のアンが野球帽をかぶっています
まさかこんなに続くとは(20年以上)
嬉しさ半分驚き半分
あの東北大震災を乗り越えて
あの時店主の龍子から屋上のタンクにヒビが入り
下に住む部屋もお店も水浸しだという連絡が
そして材料問屋さんが津波に流され
材料が手に入らないという電話
常連さんたちが手伝ってくれて
原材料をあちこちからかき集めてくれてくれたけれど
ホイップが手に入らないという返信が!
早速クロネコに手配してホイップを送る手配をする
しかーし交通網が渋滞で無理ということで断られる
ダメ元で佐川急便に事業所に行って上司に説明
何とかしてみましょうという返事
佐川急便が神のように見えた瞬間だ!
震災から1週間で立ち上げる
ホイップのケースには
頑張れ東北 頑張れ龍子と書いて
ここからがドラマの始まり
応援してくれたお客様の気持ちを原動力に
被災した小学校へクレープの炊き出しを
小学生の喜ぶ顔が目に浮かぶ
「その笑顔に逆に励まされた」
「マスター!津波被害の後に漂う独特の臭いに
SHOCKを受けた」そんな叫びが飛び込んでくる
津波に流されても心まで流されないように
しっかり頼んだぞ!龍子!
そんな思いを届けていると
その炊き出しがアメリカの新聞に載る
そこからが凄いことに
支援物資が龍子のところに届き始める
1人では捌き切れない
NPOを通して配り始める
仕事の合間を縫って
支援活動
あれから10年
大学卒業後20社の就職試験が実らず
仙台にお店を出したいからと言って飛び込んで来た日から
20年以上経つのでは?
私の店で修行した日々
大学野球部のマネージャー出身
最近まで独身だったが、
私と同じように学校の先生と同居し始めて
結婚届を
めでたしめでたし!
出入りするお客様やバイトさんとのやり取りは
まさに私の40年の歴史の中に書き込まれた記憶と同じような体験と展開に
日々驚かされる!笑
生地から生クリームの基本は変わらずに
SNS映えするクレープとミルクレープを展開している
本家は基本こそが大切との想いと
数をこなさなければ生き残れないクレープ
あれではまとめ買いに対処すためには
50枚100枚をこなせなければいけない
例えば撮影現場に行ってクレープの炊き出しなどをする場合
前日にロール状の食べやすくしたクレープを見栄え良く
作っておける
種類を書いて150本作り置きして冷蔵保存して
群馬県の撮影現場のスタッフとキャスト全員に届け
個別注文までこなす
クレープ焼き器の電源を確保できれば
道具一式を持って行ってその場で焼いて提供できる
俳優兼副社長の塩野瑛久あっての展開に
「思い出はクレープと共に」を実践してくれて
感謝の気持ちでいっぱいの今日この頃
それがクレープの醍醐味!
ジュノンボーイ最終ステージで披露できたのも
手際よく焼く塩野瑛久が注目されたのも
クレープがあったから(その時披露したのがピザエッグクレープ)
ドラマの中でも、つい最近では足立梨花さんの手を取り教えたのも(私達結婚しました2で披露)
このクレープという手に職があったから
クレープに愛を包んで40年
方向性は違ってもそれで良いのだ
良く頑張っているよ龍子
仙台の星よ!
楽しんでるかな?(フェースブック見てますよ!)
もう言い残すことはない!全ては君の手に!
獣電戦隊キョウリュウジャーの素面公演が
仙台で上演された時に
スタッフ、キャスト全員にクレープの差し入れを
確か公演後の牛タンを打ち上げに食べた後に
クレープの差し入れしてくれたことは忘れません
あの時の姿に感化されて
お母さんとお姉ちゃんが
それぞれお店を持つ決断をしたのです
クレープパティに幸あれ!