ブラスバンド部員として

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遠い日の思い出が蘇る

ブラスバンド部員として入部した日を

手の長さを見た川崎先生は

スライドトロンボーンを勧めてくれる

唇の厚い人はマウスピースの大きな楽器当てがう

母にそのことを伝えたら

あなたは肺門リンパ腺で小学校を

1年遅らせたから

管楽器はやめたほうが良い

そのことを川崎先生に伝えると

直ぐにパーカッションに回してくれる

ティンパニーから大太鼓、小太鼓、鉄琴、シンバル

あらゆる打楽器を使いこなせるように

楽しかった

パーカッションには後のレコード大賞編曲賞を取った

萩田光雄くんがいた

近所でもあったので

色々自転車を改造する趣味があって

彼の多彩な才能に感心していた中学時代

兎に角譜面を写譜するテクニックには恐れ入っていた

夜遅くまでコンクールのため練習を重ねる毎日

眠い目を擦りながら朝礼で入場退場の行進曲を演奏する

成長期の自分は遅刻したことが何回もあった

萩田くんはちゃんと楽器を用意してくれて

持ち場に並んでくれている

僕はバチを持って叩けば良い

退場の行進曲だけ

萩田くんは大太鼓

コンクールの曲には

パーカッションの出番まで

待たされることが多い

そんな時は

指揮者の指揮棒が飛んで来ないところで

いろんなお喋りをする

夜遅くまで練習するので

女の子を送っていかねばならない

僕が好意を持っていた先輩や後輩を送って行った思い出は

 

カルピスの味がする

このカルピスを飲み終わって

そんな感傷に浸るのもいいもんだ!

既に木綿のハンカチーフや桃色吐息の編曲で

有名になった萩田くんは

中学出て電気専門校に行ったので

音楽の縁のない世界に行ったとばかり

所がどっこい

太田裕美さんの木綿のハンカチーフで

世間の脚光を浴びてから

ものすごい数の編曲をこなしている

偶然きいたラジオ番組で

萩田先生がそこにいた

あの鼻垂れ小僧が

好きこそものの上手なれ

僕は人生は一度きり

大切なものに気づかされる

萩田君に教えてもらう

萩田光雄 74歳(同級生) お元気で!

 

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