記憶にございません

ロッキード事件で証人に呼ばれた人達が

口々に言う

「記憶にございません」

実は偽証罪の偽りの解釈に

見解が分かれる

1つは事実に反する発言をすること

もう1つは

自分の記憶に反する発言すること

判例では後者が採用されている

一件客観的に事実に反する証言が偽証罪を構成すると思いたくなる

しかーし

証言が正しいかどうかは神のみぞ知る

法廷は当事者同士が

自分の記憶にあることを主張しぶつけ合わせて

、裁判官がどちらが正しいかどうかを判断する

当事者主義が刑事でも民事でも主体になっている
それを熟知している野々村氏は、巧妙に

「覚えていません」「記憶にありません」を約100回繰り返す

偽証罪に問われることを恐れての発言なのだ!

ところが最終意見陳述でとんでもないことを言ってしまったのだ
「このような事件を二度と起こさないようにしたい」  と

これまでの証拠に照らし合わせてやってきたことを

ほぼ認めるような発言をしてしまったのだ!

それは実刑だけは避けたい

執行猶予付きの判決をもらいたいあまりの発言であろう!

私が裁判官だったら

法廷に向き合う真摯な態度の欠如、自分の罪を逃れようとする詭弁

第一回目の公判に出てこなかったこと

数々の偽造の領収書等を勘案すると

おそらく執行猶予は無理であろう

1年くらい実刑判決は免れないと見る

こんなにも法廷を舐めきった被告は

今後の裁判をないがしろにすることになるので

鉄槌を下すことになろう!

どんなに記憶がなくとも

あれだけ証拠が出ているのだから

記憶にないでは済まされないことは明白

人間として最低の倫理感を持ち合わせていない被告に

開いた口が塞がらないでいます。

同期の裁判官の苦労を知っている私としては

この事件を担当した裁判官に心から同情しているのです。

やむにやまれず、追い込まれて人を殺めてしまった被告たちに比べ

なんとも言い難い虚しさを感じている

人間失格!と心の中で叫んで言た

被告の弁護人も同様だ!

民主主義の根幹に関わる事件を
実体的真実追求に協力することが弁護士の使命であろうに

いつまでも記憶にないと言わせること自体が

弁護士としての役割を放棄したも同然であろう

父が生きていれば

もっと本質に迫ったやり取りをしているだろう!

本気で被告人と対峙して

叱責しながら証言を引き出していただろう!

心から反省させていれば、こんなことにはなっていない

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