2007年に右脳内出血による第1種2級の障害者宣告を受けてから

終活に焦点を負わせて、行動してきたつもり

葬儀屋に終活ノートなるものをいただいて

待てよ!

ここに書かれてることは

法的にも問題ないように網羅された事項が並んでいる

大した相続財産ないような人間にとって

何が終活なのか?

よくわからなくなる!

やり残したことがいっぱいある人にとって

終活どころではないのでは

今日を精一杯1つ1つを大切に生きれば

それが終活であり

そのノートにあるような項目なんて

日々変化するのが当たり前だし

ガン宣告され余命が告知されれば

闘病生活に専念するのが本分であり

その中での終活なら

ノートのような項目はスラーと出てくるであろう!?
毎日後悔しないように行動する人間にとって

終活なんて書けるわけないんだよ!

葬儀屋さん!

大体葬儀屋さんが渡すのは、本末転倒なんだよ

と思うようになってる自分の変化に驚いている

友人が葬儀のやり方を葬儀屋にお願いしている真意を聞くと

葬儀屋に任せると

とんでもない費用がかかるので

死んだ後までそんなに儲けさせるのは不本意だから

伝えておきたいことが終活なんだよと

聞いている?葬儀屋さん?

簡単に言えば葬儀屋を儲けさせないために

意思表示をして100万渡してこれでやってくれと宣言するもんだよと!

もちろん自分の遺影は自分で撮って

名刺にしてあり、そこには

「ありがとう!ありがとう!ありがとう!」

とシンプルに書かれてあるだけ

葬儀屋に言われる

このやり方だったら

「100万円なんてかかりませんよ!」

そう言われたそうだ

そう考えて行くと

終活はもちろんその人の個人の尊厳を全うするためのものであり

葬儀屋の月並みな葬儀で終わりにしたくない宣言なのかも

だったら精一杯生きた証を残すことが終活では

それは単純な日記で構わない

こうやってブログを書くことも

片麻痺と戦いながら、片手にカメラを握り

必死に歩いて、幸せの花を見つけに行く

私にとって牛久駅前のお蕎麦屋の84歳のおばあちゃんのような人に出会うこと
私の父は、母の悪口ばかり書いた日記を残して死んでいったが

誰も見ようともしないし

それが終活なんだよという捨てゼリフは見たくもないし、読みたくもない

そんな父のやり方に呆れたばかりでなく、

水商売の女に騙され、財産を根こそぎ持って行かれ

5年もかかった裁判に全面勝訴しても

なんとも無駄な時間を使ったものだと嘆いているのは

振り回された母と私と弟だった

それが生涯貫いた弁護士の死に様

それが終活だなんて思いたくもない

人間としての尊厳を自分で踏みにじった末路に幸せを見出すことは

最後までできなかった。

残ったのは借金と虚しさだけだ

そう言う父を反面教師として
今の私は、旅の終着点に向けて

幸せの花を見つけることこそ

終活なんだと思う

  
アンから始まった魂の旅
想像の余地のある人生

運命の相手に出会うということ

運命を受け入れるということ

幸せの花を見つけるということ

旅の終着点に向けて!

p 

 

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